39歳独身、実家暮らしのアラフォー男子はどの様にして作られたのか
こんにちは
感動マイスターの騎士です。
タイトルにある様に、ワタシがどの様にして現在の暮らしぶりをしているのか、生い立ちを振り返ってみましょう。
他にも正社員経験無し、貯金無しなどの輝かしい経歴がありますが、ブログのタイトルが長くなり過ぎるので省略いたしました。
詳しくはこちらをご覧ください。
https://kandomeister.hatenablog.com/entry/2019/05/11/095404
因みに、これだけは言わせて下さい!
実家暮らしとはいえ、家にお金は入れてますよ、独身男性独り暮らしの家賃分ぐらいは。
それはさておき、生い立ちはですね、、、
1980年大阪府にて奇跡的に誕生いたしまして、、、
幼少時代に千葉県浦安市に引っ越して来ました。
小学校2年生の時に周りの友達が皆入るからという理由で地元の少年サッカークラブに入りサッカーを始めます。
実力はチームの中で3番目ぐらい、市の選抜に選ばれるかどうかぐらいでした。
中学生になり部活ではなく地元のクラブチームに入ります。
ワタシが住んでいた市のサッカー部は、どの中学もそこまで強くなく、それぞれのチームの上手い奴は
ちゃんとサッカーやるならクラブチーム行くっしょ!
みたいな流れでした。
少年サッカークラブ内でベスト3に入ろうかという実力を誇るワタシも漏れなくこの流れに乗る事になります。
そのクラブチームは、先輩後輩の中には後にJリーガーになった人も居ますし、世代別の日本代表になった人や、フル代表までいってW杯に2回出場し得点も決めた選手までいました!
1個上の代は県予選でJの下部組織に勝って全国大会に出場する程強く、ワタシは試合に出る事はおろか、同学年の中でも1番下手でした。
一方日本のサッカー界はといえば、、、
Jリーグ元年
オ〜レ〜オレオレオレ〜🎶
という謎の歌
などなど、物凄い盛り上がりをみせていました。
年俸も、読売ヴェルディの1億円スタープレイヤー達を筆頭に高く、後に前園真聖選手がピンクのポルシェを乗り回す程バブリーな世界観が漂ってました。
当然中学生のサッカー少年が憧れない訳がなく、チームメイトは皆プロを目指していました。
チームで1番下手と自覚していたワタシですら、周りに流され易い性格もあいまって例外ではありませんでした。
ところが、その夢見がちな少年の腰に、椎間板ヘルニアという怪我が襲いかかります。
キッカケは、親子サッカーみたいなイベントのウォーミングアップの際に知らないおじさんとペアになり、中年男性に馬跳びで腰に変な風に体重をかけられた事でした。
その後、体育の授業でハードルを跳んだ際に完全にワタシの腰はやられ、酷い時は起き上がる事も出来ない程になり、サッカーから離れる事になりました。
中学2年生の頃の出来事でした。
続く