39歳独身、実家暮らしのアラフォー男子はどの様にして作られたのか part2

こんにちは。

 

感動マイスターの騎士です。

 

前回の続きです。

 

中学2年生で椎間板ヘルニアを患い、世間のサッカーブームを横目にサッカーから離れたワタシ。

 

そんな折、母のこんなフレーズをよく耳にする様になります。

 

高校だけはいい所に行っておきなさい

 

何を基準にいい所って話にはなりますが、おそらく偏差値の事だと思います。

 

何を基準にと共に何を根拠に言っていたのか、今となれば謎ですが笑、いい高校に行けば受験勉強を頑張ってきたそれなりの友達が出来る、みたいな理由だったと思います。

 

どうせそれを言うなら大学ぢゃね?って今なら思いますが(学歴にしろ広がる世界にしろ高校と大学では比べ物にならないぐらいの差があると個人的に感じてます)、当時のワタシわ学校の成績も良くサッカー以外やる事も無かった為、すんなりその言葉を受け入れ受験勉強に励む事になります。

 

騎士少年はメキメキと学力を付けていき、中学3年生の夏休み明け頃には学年で250人中10位以内に入り、偏差値も70ぐらいまで上がりました。

飛ぶ鳥を落とす勢いのワタシわそのまま、受けた高校4校全てに合格という結果を残しました!

 

今思えばこの時が人生で初めてのわかり易い成功体験だったのかなと思います。

 

一方で、受験勉強をする内に腰の方もすっかり良くなり、夏休みで部活を引退した友達と皆で昼休みや放課後、受験勉強の息抜きとして遊びでボールを蹴る様になりました。

 

いつしかプロになるという夢も消え去り、

 

普通の県立の弱小校で試合に出て、その中で目立てればそれはそれで楽しいかな

 

と思うようになっていました。

 

実際に高校入学後はサッカー部に入りました。

1年生の途中から試合に出れる様になり、自分達の代では中心選手として活躍するものの、チームとしては地区予選1,2回戦レベルで敗退という、ほぼほぼ入学前に自分が思っていた通りの結果になりました。

 

中学時代のクラブチームの人達がサッカーの強豪校で試合に出て選手権の全国大会まで行ったり、そのままユースに上がってJの下部組織ユースと戦っていたり、この頃にはもう完全に他人事で

 

やっぱり凄い人達とサッカーしてたんだなぁ

 

と、ただただファンの様な目線になっていました。

 

サッカー以外でも友達とバカやったりお洒落に目覚めたり、彼女は出来ませんでしたがそれなりに楽しい高校生活を送りました。

 

高校2年生ぐらいで周りは予備校に行く様になり、進学校だった事もあり大半は大学受験といった流れでした。

 

それまでのワタシのパターンだとその流れに乗り、、、となる筈だったのですが何故か今回はそうなりませんでした笑

 

高校だけはいい所に行っておきなさい

 

と言っていた母は、

 

大学だけはいい所に行っておきなさい

 

と口にする事も無く、

 

高校だけはいい所に行ったワタシとしても、特にやりたい事も目標も無くといった感じでただなんとなく部活と遊びという生活を続ける事になります。

 

そろそろいい加減進路を決めなくてはならなくなった高校3年生の夏休み頃、とある事件が起こります。

 

続く