39歳独身、実家暮らしのアラフォー男子はどの様にして作られたのか part4
こんにちは。
感動マイスターの騎士です。
入学する気満々で東京モード学園の体験入学に参加し、両親に専門学校に行かせてくれと勇気を振り絞って告白する少年騎士。
そこで今まで進路に対して全く何も言って来なかった父が遂に口を開きます。
オマエ、大学には行かんのか?
疑問というよりは、
何考えてんだ!?オマエ
という様な温度感でした。
まさか自分の息子がスタイリストになるとか言い出すとは思ってなかった、悪い事言わないから大学行っとけ、という空気が家中に充満していました。
父は普段から無口で、ここぞという時にガツンとカミナリを落とす典型的昭和の親父タイプで、それはそれは怖かった訳です。
大学には行くつもりは無い、どうしてもスタイリストになりたいから専門学校に行かせて欲しい
なんとか言葉を振り絞るワタシ。
ホントにそれでええんか?もう一度考え直せ
その場はそれで終わりました。
それから暫く、親とも進路の話をする事もなくいつも通りの生活が続きました。
元々母は今回の進路の件に関しては何も口出しをしてくる事が無く、ワタシが中学の時に散々言われていた
高校だけはいい所に行っておきなさい
の『高校だけは』という思想は母の中で絶対だったんだなとその時思いました笑
そんなある日、夜中々寝付けずに自分の部屋の布団にくるまっていると、両親の話し声がリビングから聴こえてきました。
父
あいつホンマに専門学校なんかに行くのか?
母
そうみたいね
父
スタイリスト?よう分からんけどそんなので成功するのなんてほんの一握りや
母
あの子そんな洋服とか好きだったっけ?
父
どこで間違えたんやろな、お前の育て方が悪かったんとちゃうか?
母
、、、
父
あいつは失敗作や
失敗作?
なんだそれ?
え?俺の事言ってんの?
ショック過ぎて暫く飲み込めませんでした。
いくなんでも酷過ぎないか?
あまりのショックにそれ以降の感情や両親の会話は覚えてませんが、一応寝ている事になっているのでそのまま次の日の朝を迎えたんだと思います。
それから暫く、毎晩の様に父から母への僕への愚痴
というよりも、それを通して間接的な僕へのお説教が続きました。
というのも、恐らく父も僕が起きてる事が分かっていて、母に言うていで僕に言っている感じが凄いしたからです。
終始、
そんなので成功する訳がない
大学に行くか、行かないなら就職して家に金を入れろ
といった様な内容でした。
ワタシのメンタルはどんどんやられていき、段々どうでもよくなってきました。
そもそも大学に行きたくないのではなく受験勉強がしたくなかったんです。
高校受験である程度の結果を出したワタシは、もうそのジャンルでは完全に満足しきっていました。
だったら受験勉強の要らない、楽しそうな専門学校に行きたいと思うのは当然の思考回路でした。
でも、反対されて行けない。
オマエなんかには無理だ
という毎晩の様な間接的洗脳?笑
により父を説得するエネルギーもない。
そうでなくても、スタイリストになりたいという夢自体がそこまで大したモノではありませんでした。
ミーハーな動機からのCMで運命感じただけですからね笑
体験入学の時の背中に羽が生えた人の事などもよぎり完全諦めモードに笑
そうなると残された道は就職ですよね。
それこそ今の時代みたいにフリーランスで稼ぐ、なんて概念は世の中にありませんでした。
あったとしてもそれこそ一握りの本当に凄い人だけだったと思います。
勉強したくないし就職に気持ちが傾きかけていた頃、たまたま当時ワタシが好きだった子とチャリで2人乗りして帰る事がありました。
その子とワタシは家の方向が同じで一緒に帰っていたんですが、途中で
私この後予備校だからここでじゃあねっ
となり、その時に少年騎士は思いました。
ん?ワタシも同じ予備校に行けば放課後から家に帰るまでほとんどの時間ずっと一緒ぢゃねぃか?
なんなら予備校入りたいからと色々聞けば話し掛ける口実にもなるし
お父さんも喜ぶし完璧なプランぢゃん
と。
そうして高校3年生の2学期も終わろうとしていた頃に急遽大学受験をする事になりました。
続く