39歳独身、実家暮らしのアラフォー男子はどの様にして作られたのか part5
こんにちは。
感動マイスターの騎士です。
好きな子へのストーカー行為紛いの動機で急遽大学受験をする事になった少年騎士。
思惑通り、その子との距離も少し縮まり、散々進路に反対していた父も、
おぉ、そうかそうか、頑張れ
と応援体制に。
少し時系列は前後するのですが僕が高校の時、協奏曲というドラマが放送されていました。
木村拓哉、田村正和、宮沢りえが出演していて、木村拓哉が若手建築家を演じていました。
このドラマを見ていたワタシは、建築というものにスタイリスト的なミーハー意識を持っていました。
どうせ大学行くなら建築学科だな
と何となく思い色々調べていたところ、工学院大学に都市建築デザイン学科という学科がある事を知りました。
名前もカッコいいし、ここならちょっと勉強したら受かりそうだからここにしよ、受験勉強得意だし
と、高校受験の成功体験で培った自信を元に土壇場での受験勉強が始まりました。
他の大学とか調べるのも面倒だったので、ここ1本を受験する事に決め、数ヶ月の勉強を乗り越え試験会場に乗り込みました。
正直試験開始前から受かる気は全くしていませんでした。
勉強期間の短さもそうでしたが、全く勉強に身が入ってなかったのが最大の原因です。
高校受験の時の自分の勉強に対する取り組み方を知っている分、受からない事は手に取る様に分かってしまいました。
テスト用紙が配られて問題に目を通すと、案の定分からない問題だらけでした。
結果は不合格、流石に甘くはありませんでした。
あれだけ進路を決める時は怖かった父も、
まぁしゃあない、お前が大学行くんやったら1年だけ浪人せぇ、予備校代も出すから
と、全面バックアップ体制を取ってくれ、ワタシ自身も、
1年あればどっかしらの大学は受かるっしょ、のんびりやるか
ぐらいの感じですんなり浪人を受け入れました。
その1年間、真面目に予備校には通うものの、友達と普通に遊んだり、フットサルしたり、やはり高校受験の時の様な熱量を発揮する事はなくのらりくらり浪人生活を送り、あっという間に1年が経ちました。
結果は、東京理科大や明治法政といったような有名大学には落ち、現役の時に受けた工学院の都市建築デザイン学科と、超滑り止めで受けていた大学の2校に受かりました。
まぁ、こんなモンだろ、、、
落ちた悔しさも、受かった喜びもほとんどなく、どこも受からないという最悪の事態だけはまぬがれてただただホッとした、という気分でした。
1浪して大学に入学、はたから見ればまだ一般的な人生を歩んでいる様に見えますが、今思えばこの頃からその後ワタシの20年ぐらいの人生を決定付ける様なサイクルが始まっていたのかもしれません。
続く